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諸葛亮の子諸葛瞻はなぜ宦官黄皓の専横をゆるしたのか?~蜀漢の末期

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 蜀漢末。諸葛亮しょかつりょうの死後も蜀の内政は安定していましたが、諸葛亮の子諸葛瞻しょかつせんらの行動が、宦官かんがん(男性器を切った皇帝の使用人)である黄皓こうこうに隙を与え、専横を許すのでした…。

諸葛瞻の無能と黄皓の台頭

 景耀元年(258)蜀の執政陳祗ちんしが亡くなります。

劉禅
劉禅

姜維は漢中から帰ってこないし、今後は国の行く末を誰と相談するべきか…

黄皓
黄皓

諸葛亮様の子、諸葛瞻様がよろしいのでは?

諸葛瞻
諸葛瞻

いや、執政は我が父の諸葛亮にも『過不足ない』と褒められた董厥殿がよいかと

董厥
董厥

いやいや、私などより樊建殿の方が優れている

樊建
樊建

いやいやいや。やはり諸葛誕殿こそ、執政にふさわしいでしょう

黄皓
黄皓

みんな駄目そうだな…

 とりあえず諸葛瞻と董厥とうけつ樊建はんけんの三人で国政を仕切ることとなったのですが…。

劉禅
劉禅

三人とも頼りないんだよね。黄皓、君が相談相手になってよ

黄皓
黄皓

え! 私でよろしければ

 諸葛瞻たちが不甲斐ないため、皇帝の使用人である黄皓が事実上の執政となりました。

巫女
巫女

北伐をやめたまえ! さすれば我が国は安泰なり

黄皓
黄皓

本当に? とりあえず神様の言ったことを伝えるか…

 けれども、残念ながら黄皓は政治を学んだことがなく、神託や占いを使って判断するしかありませんでした。

劉禅
劉禅

では北伐はしばらく中止としよう

諸葛瞻
諸葛瞻

私もその方がよろしいかと

 北伐が中断されると兵役や税を軽くできました。すると蜀の国民は諸葛瞻のおかげだと喜んだと言われます。

諸葛瞻
諸葛瞻

最近、民が手を振ってくれる

黄皓
黄皓

御父上の威光の賜物と思います

姜維の帰還

 国民には支持された北伐中止でしたが、ミスター北伐こと姜維きょういが許すはずはありませんでした。

姜維
姜維

陛下! 黄皓にたぶらかされ、北伐をやめたというではありませんか

劉禅
劉禅

いや、黄皓はただの使用人。北伐中止は皆で相談して決めたことだ

姜維
姜維

陛下が、そこまで言われるならば斬るのはやめましょう。

ただ、軍の準備が整えば、また北伐に行かせていただきます

劉禅
劉禅

わ、わかった…

 しかし、景耀5年(262)に行われた4年ぶりの北伐も成果はありませんでした。

諸葛瞻
諸葛瞻

民は北伐に反対しております

劉禅
劉禅

しかし、姜維に騒がれると怖い

黄皓
黄皓

いっそ姜維殿に成都で政務を行ってもらえば?

劉禅
劉禅

それなら我らの苦労も分かってもらえるかもしれん!

諸葛瞻
諸葛瞻

では、閻宇を漢中に送り、姜維殿を成都に呼び戻しましょう

 かくして、姜維に指示が届くが…。

姜維
姜維

どう考えても、罠としか思えん

 成都と漢中とで温度差が激しく、姜維は成都に戻りませんでした。

黄皓、陳寿に恨まれる?

 一方その頃、後に三国志正史の作者となる陳寿ちんじゅは父親の喪に服していましたが…。

黄皓
黄皓

陳寿が侍女に精力剤を作らせているという噂です

諸葛瞻
諸葛瞻

陳寿は和を乱す男。喪中でもやりかねないかと

劉禅
劉禅

なんと破廉恥な! 陳寿をクビにしなさい

 喪中に薬を飲んだとして陳寿は職を失ってしまうのでした。

陳寿
陳寿

おのれ、黄皓め!

 その後、陳寿の兄弟子の羅憲らけん巴東郡はとうぐんに太守として赴任することになります。

陳寿
陳寿

なんと兄弟子まで黄皓に左遷させられてしまうとは!

羅憲
羅憲

おい、巴東太守は重要な役職だぞ

陳寿
陳寿

噂では劉永様も10年以上劉禅様に会えないらしい! 黄皓め、なんとひどい!

羅憲
羅憲

落ち着け、陳寿! それは劉禅様と劉永様2人の問題だ

 このような陳寿の恨みもあって、三国志で黄皓は蜀を滅亡に追いやる大悪党にされてしまいました。

黄皓はそれほど悪人には思えないけど…

陳寿
陳寿

宦官はただの皇帝の使用人! 権力を持つこと自体が罪なのです!

他が無責任すぎたんじゃない?

陳寿
陳寿

中原では『浮華』や『清談』が流行ってます。悪い流行が蜀にも伝わったのかもしれませんね

 つづく。

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