広告




蜀の滅亡の戦犯は誰だ? ~あえて姜維を弁護してみる~

 にほんブログ村 歴史ブログ 三国志(歴史)へ

陳寿
陳寿

兄弟子。今度、蜀の歴史を書くことになりました。そこで、誰が原因で蜀が滅亡したのかを教えてほしいのです!

羅憲
羅憲

しれっと恐ろしいことを言うな

陳寿
陳寿

巷では、大将軍の姜維殿が政治に関わらず、北伐を繰り返したのが滅亡の原因と言われているようですが…

羅憲
羅憲

では、姜維殿の経歴から考えてみよう

姜維という男

 姜維きょうい(伯約)は魏国涼州天水郡の出身。

姜維
姜維

姜氏は代々「天水の四姓」と呼ばれるほどの名士だったのだ

夏侯覇
夏侯覇

やっぱり! ワイルドな中に品のある男と思っていたけど…

 成長すると、魏に出仕し、天水てんすい郡の軍事を任されるまでになる。

 しかし、そこに諸葛亮しょかつりょう率いる蜀軍が襲来。魏の天水太守馬遵ばじゅんは逃げ出してしまう。

姜維
姜維

やむをえん。蜀に投降しよう

諸葛亮
諸葛亮

これは涼州の上士! 特に軍事に優れています

 蜀の丞相諸葛亮に絶賛され、すぐに将軍の位を与えられる。

 その後の活躍が評価され、諸葛亮の死後には重職を歴任した。

姜維
姜維

これだけの恩義受けたのだから返さねばなるまい

諸葛亮
諸葛亮

よろしくお願いしますよ

 とはいえ、すぐに思い通りの軍事を行えたわけではなかった。

姜維
姜維

もう少し兵力があれば、涼州をこちらのものにできるのだが…

費禕
費禕

ダメダメ。これ以上はお金も人もなくなっちゃうよ

 当初は諸葛亮の後継者である費禕に反対され、一万人以上の兵隊を預けてもらえなかった。

 しかし、費禕の死後、軍権を掌握。

 数万の魏軍を倒し、ついに大将軍に登り詰めるが…。

鄧艾
鄧艾

涼州の地形は把握した。姜維、もはやお前に地の利はない!

夏侯覇
夏侯覇

段谷の戦いで歴史的大敗北ぅぅ!

 天敵である魏の鄧艾とうがいとの戦いで、多くの兵と協力者を失ってしまった。

 このため、反北伐派が蜀の大勢を占めるようになる。

陳寿
陳寿

こうしてみると、戦に負けてから姜維殿は支持を失ってしまったようですね

羅憲
羅憲

元々が魏からの亡命者だ。支持基盤がないから、勝ち続けることが至上命題だったのだな

漢中防衛戦の考察

 景耀6年(263)、ついに魏軍は姜維のいる漢中かんちゅうに向けて一斉攻撃を開始。

 蜀の中常侍黄皓ちゅうじょうじ こうこうは、神託を信じて、援軍を送らない決定を下す。

陳寿
陳寿

黄皓のせいで重要拠点の陽安関が陥落します。やはり黄皓が一番の悪です!

羅憲
羅憲

援軍の遅れは成都の首脳陣も同罪だ。それに、すぐに援軍がきたところで魏軍の進軍を阻めたかは疑問だな

陳寿
陳寿

何ゆえです?

羅憲
羅憲

陽安関陥落の一番の原因は蔣舒という男の裏切りだからだ。廖化殿や張翼殿が行っても魏軍を止められたかどうか…

 緒戦で敗れた姜維は、成都せいとからの援軍と合流して剣閣けんかく城に立てこもる。

陳寿
陳寿

この時点で魏では司馬昭が相国に就いたりして、すでに勝ったつもりですが…

羅憲
羅憲

しかし、剣閣は諸葛亮様が作ったと言われる要害。まだ勝負はついていない

 10万以上の魏軍(鍾会しょうかい軍)の攻撃を受けても、剣閣はびくともしない。

 また、陽安関は陥落したが、姜維が防衛拠点とした漢城も楽城もまだ陥落していなかった。

陳寿
陳寿

この時、鍾会軍は撤退を検討し始めたという話ですね

羅憲
羅憲

10万の兵で遠征するのは簡単ではない。逆に剣閣は準備万全だ。姜維殿は漢中から魏軍を一掃できると思っていたのではあるまいか

 一方その頃、3万の鄧艾軍は司馬昭しばしょうの許可をとり、間道を抜けて成都を目指す。

陳寿
陳寿

この別働隊さえいなければ…

羅憲
羅憲

さすが、地形を知る男鄧艾…。おそらく剣閣が難攻不落であるのも把握していたんじゃないだろうか

 道なき道を抜けて、鄧艾は蜀本国へ侵入成功。ばいにいた諸葛瞻しょかつせんは、移動して綿竹めんちくに籠城。

陳寿
陳寿

山から下りる前に攻撃するべきという進言を、諸葛瞻殿は無視しますね

羅憲
羅憲

山にいる時点で総攻撃をかけていれば、勝てた可能性はあったが…。しかし、将軍としての力量が違いすぎるからな

陳寿
陳寿

せめて廖化殿や張翼殿が率いていれば違いましたかね?

羅憲
羅憲

勝てたかどうかはわからないが、鄧艾軍が迫っていることを成都に知らせるのは早かっただろうな

陳寿
陳寿

そうなれば劉禅様も南に逃げるなりの手はうてた…。ということは戦犯は諸葛瞻殿…!?

羅憲
羅憲

とはいえ、南に逃れても劣勢は変わらない。結局、鄧艾が山越えを成功した時点で詰んでると言っていいだろうな

 綿竹で諸葛瞻は玉砕し、強襲された成都は呆気なく降伏。蜀の国は滅亡する。

陳寿
陳寿

この後の鍾会の乱に、姜維殿は巻き込まれるわけですが…。

羅憲
羅憲

狡兎死して走狗烹らるというからな。鄧艾の暴走も鍾会の反乱も、根は同じ理由だ

陳寿
陳寿

鍾会が鄧艾を逮捕した時点で、賈充は漢中に、司馬昭も長安に向かってます

羅憲
羅憲

誅殺の不安を、姜維殿が煽ったという可能性は低くないと思う

 その後、鍾会の乱は失敗し、姜維やその家族も戦死してしまう。

陳寿
陳寿

以上をふまえて、私の結論は以下の通り

  • 蜀滅亡の戦犯ベスト3
  • 1 諸葛瞻(親の七光りで実力ないのに宰相についた。綿竹も防衛できなかった)
  • 2 黄皓(劉禅をダメ君主にした。援軍を握りつぶした)
  • 3 姜維(政治をやる気がない。思ったほど戦に強くなかった)
羅憲
羅憲

おい、ただの悪口じゃないか!

陳寿の評価

譙周
譙周

今まで話は聞いていたぞ。陳寿、羅憲

羅憲
羅憲

譙周先生!

陳寿
陳寿

お師匠様!

 譙周しゅうしゅう劉備りゅうびに皇帝になるように進言した人であり、劉禅りゅうぜんに降伏するように進言した人である。

 羅憲、陳寿は譙周の弟子で、それぞれ子貢しこう子游・子夏しゆう しかと称された。

譙周
譙周

確かに陳寿の意見は卓見である。しかし、せっかく諸葛家を復興させようというのに、足を引っ張りかねない

陳寿
陳寿

いや、そんなつもりは…

 泰始4年(268)、羅憲は諸葛瞻の子である諸葛京しょかつけいを推挙している。なお、姜維の子孫は生き残っていなかった。

譙周
譙周

魏の曹家と蜀の劉家は光と影のようなもの。魏の曹家が消えれば、蜀の劉家も力を失う。それだけのことだ

羅憲
羅憲

誰のせいでもなく、蜀の天命が尽きてしまったということですね

陳寿
陳寿

ではお師匠様の意見も踏まえて!

  • 1 黄皓(劉禅をたぶらかして蜀の天命を短くした)
  • 2 姜維(北伐しすぎて蜀の天命を短くした)
  • 3 諸葛瞻(書画がうまいだけの人。でも、死に際はGOOD!)
羅憲
羅憲

おい、先生の話を聞いていたのか?

譙周
譙周

さすがだな。しかし、陳寿の将来は心配だ

 蜀滅亡編完。三国統一編へつづく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました