明帝の死後、魏は司馬懿と曹爽の二頭体制でとりあえずの落ち着きをみせた。一方、呉では、いつまでも死なないあの男が迷走を始めていた。
芍陂の役

魏が代替わりした今がチャンス!!
四方面から魏に攻め込むぞ!

まさか、また合肥に…

そうしたいのは山々だが、皇太子孫登の体調が悪い。
残念だが、今回は都を離れられぬ

陛下が出ないのであれば!
全力を尽くして魏と戦いましょう!
揚州を全琮、諸葛恪(孔明の甥)。荊州を朱然、諸葛瑾(孔明の兄)、歩騭がそれぞれ軍を率いて攻めあがった。

全琮が寿春で住民を捕虜にし、朱然が樊城を取り囲んでいるだと!
なんだ、やればできるではないか!

たいへんです、陛下!!

なんだ、誰がやられた!

違います。孫登様が亡くなられました…
呉の希望の星であった皇太子孫登(そんとう)が33歳で死亡。
これにより、善戦していた将軍たちのやる気が一気になくなり、次々と撤退を始めてしまう。

これは、マジでやばいかも…
張昭の死~監査官呂壱
時は少し戻り、5年前。

よし、張昭のくそじじいがようやく死んだぞ!
これで、この孫権に逆らうものは誰もいない!

しかし、陛下の悪口を陰で言っているものはたくさんいますよ

なんだと! お前を監査役に任命するから、俺への悪口をすべて調べてこい!!

はーい、任せてください
これにより、呂壱は些細な罪でも孫権に上奏。重臣すらも罰せられた。

呂壱、ちょっと調子のりすぎじゃない?!

あいつ、気に食わないから孫権様に報告しよー

なんだと、丞相までが俺の悪口を言ってたのか!!
次第に私怨による上奏もされるようになり、さらには各種の利権にまで手を出し始めた。

俺に逆らうと、うちのボスがだまっちゃいないよ
そんな状況で声をあげたのが、誰あろう皇太子孫登であった。

父上、呂壱こそが悪の元凶です。即刻処罰を!

なんだと、お前まで俺に逆らうのか!!

私は父上に逆らいません。ただ、父上を心配しているだけです

陛下。孫登様がこれだけ言われるのですから、呂壱の素業も調べてみましょう

ぬう…。調べるだけだぞ!
調べてみると、たくさん出てくる呂壱の悪行の数々。
その他の重臣たちの上奏もあり、2年におよぶ呂壱の虎の威を借りる狐生活は終わった。

この時も孫登様がいなければ、どうなったことか…
二宮事件~陸遜憤死
孫登の死後、皇太子は孫和となった。しかし、なぜか弟の孫覇にも魯王の称号を与え、兄と同じ待遇を与えた。

孫和にまで死なれると困る。孫覇にも帝王学を教えねば!

絶対やっちゃいけないことをやってるような…
やがて家臣は皇太子派と魯王派に別れ、争う事態に至った。
そんな中、丞相の顧雍が亡くなり、陸遜が跡を継いだ。

いやだけども、言うしかないか…

丞相就任おめでとう、陸遜。
何か言いたいことがあるのか?

孫和様と孫覇様が、跡目争いで喧嘩しております。
何らかの手を打たないと袁紹や劉表の二の舞かと…

せっかく丞相にしてやってのに、なんだその口は!
お前の顔なんぞ見たくもない!
その後、孫権は陸遜の面会も許さず、弁明した甥っ子たちを流罪にした。さらには手紙で状況を知らせてくれた吾粲を獄死させた。

呉は終わりだ! もうフォローしきれない!!
ついに、陸遜憤死(怒りすぎて死ぬこと)。

ふむ。やっぱり陸遜の言うことにも一理あったな
孫権は、孫和を皇太子から降ろし、孫覇に死を賜った。さらには、孫和派、孫覇派の家臣たちを次々と誅殺。皇太子を年少の孫亮とした。

どうだ、陸遜みているか。完璧な処置であろう!

なんで八歳の子供を皇太子に…。
死んでも死に切れん。
つづく。
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