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【孫権の孫】英明だった孫晧は、なぜ呉の国滅亡を回避できなかったのか?【視線恐怖症】

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 天紀4年(280年)呉の国が滅亡し、ついに三国志が終結します。

 滅亡に導いたのは、呉の第4代皇帝孫皓そんこうと言われます。

 しかし、彼は、孫策そんさく(呉の国を実質創った人)の再来とまで言われた俊才でした。

孫晧ってどんな人? 国を滅ぼしたってことは、バカ殿様なの?

陳寿
陳寿

国を滅ぼしたので暗君の誹りは免れませんが…。心を病まなければ、もう少し良い結論を導きだせたのではないでしょうか

孫晧は心を病んでいたの?

陳寿
陳寿

では、孫晧の生まれた時からお話しましょう

 今回は、呉のラストエンペラー孫晧が、なぜ呉の国滅亡を回避できなかったのか紹介します。

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孫権と何姫

 ある日、呉の国の初代皇帝孫権そんけんが街をぶらぶらしていたら、不思議な雰囲気の娘を見つけました。

何氏
何氏

さあ、今日も一日の勤めに励みましょう…

孫権
孫権

ピカーンときた! そこの娘、うちの息子の嫁になれ

 娘は、呉の皇太子孫和そんかの妃となり、何姫と呼ばれるようになりました。

 赤烏5年(243年)孫晧は、孫和と何姫の長男として生まれます。

 孫権もことのほか喜び、幼名に彭祖ほうそ(長寿な神様の名前)という名を与えました。

孫晧(幼少期)
孫晧(幼少期)

みんな~! ぼくと遊んでくれよ

はい、彭祖様! なにをいたしましょう

今日は追いかけっこ? それとも、球遊びがよろしいでしょうか?

 しかし、孫権の迷いにより後継者争いが勃発。

 皇太子孫和とその弟の孫覇そんはとの間で、呉の家臣団を二つに割った二宮事件にきゅうじけんが発生します。

孫権
孫権

おまえら騒ぎ過ぎだ! 孫和も孫覇もダメ! 後継者は孫亮にする

 赤烏13年(250年)孫和は太子を廃された上で幽閉(孫覇は自害)。

 後継者には孫権の末子孫亮そんりょうが立てられることになりました。

孫晧(幼少期)
孫晧(幼少期)

みんな、僕と遊んでよ!

すいません。ちょっと忙しくて…

本当に勘弁してください

 さらに孫権の死後、復権を嫌った首脳部により、孫和は自害を命じられました。

孫晧(幼少期)
孫晧(幼少期)

母上。父上がいなくなって、僕たちはどうすれば…

何姫
何姫

私たちは生きるのです。生き延びて、御父上の意思をお継ぎなさい!

 孫和が亡くなった後、何姫は孫晧とその弟たちを育てました。

いきなりハードな展開…

後に、孫晧は父親の家臣たちを流罪にしています。父親失脚後のトラウマが関係しているのではないでしょうか

呉第四代皇帝孫晧

 永安元年(258年)孫休そんきゅうが第三代皇帝に即位。丞相孫綝そんちんにより、孫皓は烏程侯となりました。

孫綝
孫綝

孫休が俺様に逆らった時のために、ストックを準備しておこう

孫晧
孫晧

何にせよ、曾祖父孫堅と同じ烏程侯になれるとは、幸先がいい…

 孫晧が任地の烏程にいくと、そこで占い師に容貌を大貴と言われます。

景養
景養

貴方様の顔つきは、まさに皇帝になられる面相!

孫晧
孫晧

嬉しいことを言ってくれる。だが、そのことは誰にも言ってくれるな

 孫晧は予言のことを誰にも言いませんでしたが、烏程の県令万彧ばんいくも孫晧の噂を耳にし、親交を深めます。

景養
景養

せっかく褒めたのに、怒られちゃった

万彧
万彧

孫晧様の志は壮大だな。孫策様のようになるかもしれん

 永安6年(263年)呉の同盟国である蜀が滅亡。

 呉軍は旧蜀の永安城を攻めますが落とせず、さらに呉の南部交州でも反乱がおきました。

孫休
孫休

蜀も滅びた! 交州も離反した! 城ひとつ取れん! もうお終いだ

 永安7年(264年)孫休が亡くなりました。

 孫休の皇太子はまだ幼く、呉の存亡の危機にとても対処できそうにありませんでした。

万彧
万彧

孫晧様は、学問を好み、法を遵守している。あの方こそ、皇帝にふさわしい!

 左典軍になっていた万彧が孫晧を猛プッシュし、ついに孫晧は呉の第四代皇帝に即位なりました。この時、齢23歳。

孫休が、我が子を後継者を指名していたのに、孫晧が皇帝になったんだ…

陳寿
陳寿

呉において皇帝権力が弱くなっていたのが分かりますね

孫晧、いきなり降伏?!

 元興元年(264)皇帝になった孫晧は、父の孫和に文皇帝と追諡。母の何氏を尊んで太后としました。

孫晧
孫晧

母上、ついに皇帝になれました!

何太后
何太后

喜んでいる場合ではありません。国の存亡の危機ですよ

孫晧
孫晧

確かにそうでした…。

万彧! まずは邪魔者を始末するぞ

万彧
万彧

分かりました。前政権の遺産を片付けましょう

 孫皓は孫休政権の重臣濮陽興ぼくようこう張布ちょうふを処刑。

 さらに前皇帝孫休の妻子を幽閉し、皇后の朱子と二人の子を亡きものとしました。

孫晧は、自分と同じ立場の孫休の子供たちに同情しなかったのかな?

陳寿
陳寿

同じ立場だからこそ、その危険性も分かっていたのでしょう

 そのころ、魏の相国司馬昭しばしょうから孫晧に宛て、手紙が届きます。

司馬昭
司馬昭

『魏の国は蜀を平定した。呉の国も、魏に従いなさい!』

 手紙の内容は、蜀が滅びた今、呉の国も魏の国に従えという屈辱的なものでした。

万彧
万彧

さて、いかがしましょうか…。突っ撥ねますか?

孫晧
孫晧

いや、下手なことをすれば宣戦布告してくるだろう。悔しいが、今は曖昧な返事をするしかあるまい…

万彧
万彧

やむを得ませんな。確かに、呉の国を立て直すのが先決です

 甘露元年(265年)孫皓は、司馬昭に返書を送りました。

孫晧
孫晧

『私は不徳ですが、賢い人と共に世の中を良くしたいと思っておりました。司馬昭殿と今までお話しする機会がありませんでしたが、これからは仲良くしていきたいと思っています』

司馬昭
司馬昭

なんと! 呉の国が仲良くしたいと言ってきた

賈充
賈充

これは素晴らしい! 司馬昭様の徳が呉の国にも伝わったのです

 魏の国では、孫晧の丁重な返書に喜び、司馬氏の禅譲の後押しとなりました。

万彧
万彧

時間稼ぎは成功したようです。さて、いかがしましょう?

歩闡
歩闡

孫晧様! 荊州に王者の気が漂ってます。武昌にお越しください

孫晧
孫晧

荊州の武昌か…。守るにも攻めるにもいい場所だな

 孫晧は、西陵督歩闡ほせんの上表に従って荊州の武昌に遷都しました。

陳寿
陳寿

武昌は、かつて孫権が曹操を破った赤壁の近くで、晋将の杜預も『立てこもられると厄介』というほどの堅城でした

わざわざ武昌に遷都するほど、呉は緊急事態だったんだね

病みゆく孫晧

陳寿
陳寿

何とか当面の危機を脱した孫晧でしたが、ここから運命が狂い始めます

ええΣ(Д゚;/)/ せっかくいい感じなのに!

陸凱の批判

 宝鼎元年(266)陸凱りくがいを左丞相とし、万彧を右丞相としました。

陸凱
陸凱

武昌は食料も自給できず、首都としての機能を全く備えていません! 建業へ戻るべきです

 陸凱は名門陸氏の長老格で、陸凱の遷都批判を、孫晧も無視できませんでした。

陳寿
陳寿

陸氏は、二宮事件で一貫して孫和を応援していました。だからこそ丞相への抜擢だったのですが…

空気を読んでほしいよね

 また、武昌で情報を収集した結果、魏の国から晋の国に代わり、晋が国境の防備すら整えていないことも判明します。 

孫晧
孫晧

どうやら司馬氏は禅譲に手いっぱいで呉を攻める余裕はなさそうだ。建業に戻ってもよいが…。

万彧
万彧

大変です! 弟君の孫謙様が謀反。建業へ迫っています

 永安の山賊の施但したんが、孫皓の弟の孫謙そんけんを担ぎ上げ、建業に攻め込みます。

 この時、建業の守備軍が施但を敗走させ、孫謙を保護しました。(孫謙は自害)

孫晧
孫晧

建業を留守にするのは良くないようだ。俺は建業に戻る!

陸凱
陸凱

もはや国庫は空の状態です。国を立て直さねばなりません

万彧の異動

建業に戻って、これで落ち着いたのかな?

まだまだ晋の動向を知らねばなりません。しかし、ここで孫晧は失策を犯します

 宝鼎元年(266年)12月、建業に戻った孫晧は、武昌に皇后の父滕牧とうぼくを残し、守りに当たらせました。

 さらに宝鼎2年(267年)右丞相の万彧を、荊州の巴丘の守備につけました。

万彧
万彧

私がいない間、楼玄をお側に置いてください。彼ならば、風紀を正してくれます

 楼玄ろうげんは威厳があって規律を重んじ、歯に衣着せない物言いをするタイプでしたので、孫晧と対立することが度々ありました。

楼玄
楼玄

孫晧様は、お酒も飲みすぎですし、女遊びも激しすぎます! 君主というものは、そんなことではいけません

孫晧
孫晧

ええい、うるさい! 年がら年中、君子面していられるか

 耐えきれず、孫晧は楼玄を遠ざけました(後に流罪)。

万彧
万彧

楼玄は、お気に召しませんでしたか…

孫晧
孫晧

あんな奴と一緒にいられるか、胸糞わるい!

 結局、孫晧と万彧との間に、溝が生まれてしまいました。

万彧は悪臣と言われますが、楼玄のような人を推薦しているのをみると、性格は悪いけど有能な家臣だったと思われます

でも、険悪な関係になってきたね…

万彧の失脚

 宝鼎3年(268年)孫皓は、晋の国に東関に攻め込みます。

 同時に、晋に奪われた交州に軍勢を送り込みますが、敗北して将軍たちはみな斬られてしまいました。

孫晧
孫晧

くそ! なぜ蜀の生き残りごときを倒せんのだ

陸凱
陸凱

敵も必死です。戦略を練り直さねばなりません

 建衡元年(269年)陸凱が高齢で亡くなり、建衡2年(270年)万彧が建業に戻ります。

 この頃、進展しない状況に業を煮やした孫晧は、占いに嵌りだします。

万彧
万彧

孫晧様、いったい何をされて…

孫晧
孫晧

おお、万彧! これより皆で洛陽に出発するぞ

刁玄
刁玄

呉の皇帝が天下を取るお告げがありました! 晋の寿春でも呉がやってくると噂です

万彧
万彧

お待ちください、孫晧様。こんな世迷いごとを…!

 建衡3年(271年)孫皓は、多くの軍勢や母および妃妾と共に、建業の西の華里に出発しました。

孫晧
孫晧

母上! これより皆、洛陽で暮らせますぞ

何太后
何太后

目を覚ましなさい、孫晧! 兵士たちも限界ですよ

 孫晧の行軍は大雪に見舞われ、兵士が凍沍となる有様でした

 そのため、孫晧一行は建業に帰還することになります。

万彧
万彧

建業を留守にしておくのは良くない。我らだけでも戻らねば…

 この時、万彧たち一部の重臣は、先に建業へ戻ろうとしていました。

 しかし、孫晧の了解を得ていなかったため、孫晧は万彧の忠誠心がなくなったと考えます。

孫晧
孫晧

今宵の宴会、万彧の酒に毒をまぜておけ!

丞相の酒に毒を…!

 孫晧は、股肱の臣である万彧に毒杯を与えます。この時は給仕係が毒を減らしたため、万彧は一命をとりとめましたが…。

万彧
万彧

私は不要な存在になったか。誠意が伝わらなかったのは無念だ…

 鳳凰元年(272年)万彧は毒を仰いで亡くなります。

孫晧
孫晧

もはや誰の力も借りん! 俺こそが天下の皇帝なんだ!!

 孫晧は南の交州での戦いに勝利し、呉は再び交州を領土としました。

 また、歩闡の裏切りより生じた歩闡の乱では、陸抗りくこうが晋軍を退けました。

孫晧
孫晧

晋の軍を破った俺は、やはり天に選ばれた男! 晋を滅ぼす日も近いぞ

陸抗
陸抗

晋を破ったのは、私なんですが…

 陸抗は大司馬(軍の責任者)に任命されますが、鳳凰3年(274年)に亡くなります。また、孫晧の母何太后も亡くなりました。

陳寿
陳寿

陸凱、万彧、陸抗、そして何姫…。孫晧に意見できる人々が亡くなり、どんどん孫晧は暴走してしまうのですね

中途半端に戦いに勝ったのもいけないよね

孫晧の症状

 270年ごろより、孫晧は精神を病み始め、ほぼ毎年、大赦と改元を行うようになります。

陳寿
陳寿

ここからは、孫晧の病気と思われる部分をピックアップします

聞きたいような、聞きたくないような…

視線恐怖症

陳寿
陳寿

孫晧は人から直視されることを嫌いました。対人恐怖症(社交不安症)の一種、視線恐怖症と思われます

視線恐怖症?

 他人からの視線を嫌った孫晧は、家臣に頭を下げたまま、話をさせていました。

陸凱
陸凱

皆が頭を下げたままで、もしもの時に誰が帝を守るのですか!

孫晧
孫晧

わかった、わかった。お前だけ顔をあげていいことにする

 重臣である陸凱だけは直視を許されましたが、その他の家臣には許しませんでした。

陳寿
陳寿

この病は、幼少期のトラウマ、親からの過大な期待、他者からの注目などの理由で起こると言われます

全部当てはまってるじゃん!

 孫晧は徐々に人前に姿を現さなくなり、庶民は孫晧が亡くなったと言いあったそうです。

根深い人間不信

孫晧
孫晧

また、孫晧は家臣の本心を見るため、宴会を頻繁に行いました

飲みニケーションですね

陳寿
陳寿

問題は量です。下戸であっても約1.8ℓの酒を飲むことを強要されました

1.8ℓ! 飲ませすぎだよ

陳寿
陳寿

しかも、宴会の最中、ずっと十人のシラフの書記官が、失言などを記録しています。内容によっては、すぐに処罰が下されました

地獄の飲み会だ…。こりゃ嫌われるわけだ

 孫晧の宴会のやり方は、兵法書六韜にある『酒を飲ませてみて、酔い方を観察する』を実践したものと思われます。

 しかし、孫晧の根深い人間不信が、大量の酒を飲ませたり、失言で処罰したりと、家臣の心を引き離す結果となってしまいました。

消された人々

陳寿
陳寿

かくして陸凱や万彧の亡くなった以降、家臣や皇族がより多く処断されました

272年(鳳皇元年)歩闡(反乱)
万彧(自害)
留平(憤死)
楼玄(流罪のち自害)
何定(処刑)
273年(鳳皇二年)韋昭(処刑)
陳声(処刑)
274年(鳳皇三年)邵疇(自害)
奚熙(反乱)
張俊(処刑)
孫奮(自害)
275年(天冊元年)中書令 賀邵(処刑)
276年(天璽元年)孫楷(亡命)
張詠(処刑)
車浚(処刑)
熊睦(処刑)
277年(天紀元年)張俶(処刑)

もう誰にも止められない…

陳寿
陳寿

孫晧が並の暴君と違うのは、楼玄や賀邵、韋昭といった諌臣タイプだけでなく、何定や陳声、張俶といった佞臣タイプも処分していることです。

どういうこと?

陳寿
陳寿

つまり、孫晧は自分を批判する者も処分するし、自分に媚びへつらう者も処分したということです!

人間不信の塊だな、もはや…

 ちなみに、呉の国は晋の国と比べて中央集権が進んでいないので、孫晧が勢力のある家臣を排除したという話もあります。

呉の国の滅亡

 天紀3年(279年)呉の南、交州で再び反乱が起きます。

孫晧
孫晧

またしても交州で反乱だと! 今度は完膚なきまでに叩きのめせ

陶濬
陶濬

お任せください!

 孫晧は、張悌ちょうていを丞相、何植かしょくを司徒とし、滕循とうしゅうを鎮南将軍に任命して、交州に派遣します。

 さらに、孫皓は陶濬とうしゅんに兵を与え、交州に援軍として向かわせました。

杜預
杜預

呉の精鋭が南に移動しました! 今こそ、千載一遇のチャンスです

司馬炎
司馬炎

わかった! 全軍で呉の国を亡ぼす

 同年冬、晋の国は六方面から計20万の兵で進軍を開始しました。

 天紀3年(280年)破竹の勢いの晋軍をまったく止められず、呉の丞相張悌が率いた呉の本隊も、晋軍に完敗しました。

 建業に戻った陶濬が、晋の軍と最終決戦を試みますが…。

陶濬
陶濬

なんだと! 二万の兵士がみんな逃げ去った?!

孫晧
孫晧

もうよい、陶濬…。もはや、ここまでだな

 兵が逃げ去ったと知った孫晧は、覚悟を決めて呉の諸将に手紙を送ります。

孫晧
孫晧

『私の失政により、国が亡ぶこととなった。皆に責任はない。これからは晋の国に仕え、志をかなえてほしい。それが私の望みだ』

吾彦
吾彦

孫晧様。なんと、もったいないお言葉…!

 呉の将軍だった吾彦ごげんは、その後『孫晧は英俊で、宰相もみな賢明でした。国が滅びたのは天命です』と述べました。

 かくして、晋の軍勢は孫晧は降伏。

 孫晧の身柄は晋の都洛陽に送られ、晋の皇帝司馬炎しばえんと相まみえます。

司馬炎
司馬炎

ようやく会えたな。ずっと孫晧殿のための席を準備していたぞ!

孫晧
孫晧

奇遇ですな。南で、私も司馬炎殿のための席を準備しておりました

 その後、孫晧は帰命侯に封じられ、司馬炎の賓客となりました。

 太康5年(284年)孫晧は洛陽で亡くなります。42歳。

最後まで、減らず口でプライドが高かったね

陳寿
陳寿

孫晧は、いたずらに民を苦しめ、家臣を粛清しました。本来、爵位など与えずに処罰すべきでしたね

でも、呉の国だけでよく頑張ったと思うけど…

陳寿
陳寿

孫晧は頭の回転が良く、弁舌も巧みです。しかし、対処が場当たり的で、長期的な展望がなかったと言わざる得ません

でも、滅亡が決まってからの態度は、蜀の劉禅よりいいんじゃない

陳寿
陳寿

劉禅様と比べてはいけません!!

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 つづく。

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