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司馬昭は稀代のワル? それとも三国志を終わらせた誠意大将軍?

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 司馬昭しばしょうは、三国志のスーパースター諸葛亮しょかつりょう最大のライバル司馬懿しばいの次男です。

 父と兄の死後に司馬家の家督を継ぎ、相国として位人臣を極め、晋王の位と九錫の特権を与えられ、漢における曹操そうそうと同じ状態までなります。

 死後すぐに息子の司馬炎しばえんが皇帝に即位し、のちに晋の文帝と呼ばれることとなるのですが…。

あんまり、すごい人の感じがしないんだよね

賈充
賈充

違います。司馬昭様がいなければ、司馬家の天下はなかったでしょう!

いったい、何がすごかったの?

司馬昭の性格形成

 司馬昭しばしょう(字は子上しじょう)は、建安16年(211)に、司馬懿と正妻張春華ちょうしゅんかの次男として誕生しました。

 父の司馬懿は曹操のもとに就職したばかりでしたので、おそらく祖父の司馬防しばぼうに厳しく育てられたと思われます。

司馬防
司馬防

よいか、昭。時代は変わっても、人の道は変わらない

司馬昭
司馬昭

はい、お祖父様!

司馬防
司馬防

信義を第一とせよ。知恵や力は見せつけるな

司馬昭
司馬昭

はい、わかりました!

司馬防
司馬防

長幼の序を大切にせよ。兄より優れた弟はいない!

司馬昭
司馬昭

え…、はい!

司馬防
司馬防

反応が遅い!!

司馬昭
司馬昭

ごめんなさい!!

 司馬防は、司馬懿を含めて八人の息子が皆優秀で、全員が字に『達』の字を持っていたため、『司馬八達』と呼ばれました。

 また、曹操がはじめて就職したとき、洛陽北部尉(首都北部の警察署長)に推薦したのが司馬防でした。

曹操
曹操

魏王にまでなったぞ。どうだ司馬防、今でも警察官に推薦するか?

司馬防
司馬防

あの時は、警察官がちょうどよかったのだから仕方なかろう

司馬昭
司馬昭

すげー、お祖父様。全然負けてない!!

 かくして司馬昭は兄の司馬師しばしとともに厳しく育てられ、建安24年(219)司馬昭9歳の時に司馬防が亡くなります。

司馬昭
司馬昭

お祖父様の教えは本当にありがたかった

司馬師
司馬師

マジか! 俺はジジイの言ってることはよく分からんかった

司馬昭第一の危機 高平陵の変 

 太和5年(231)司馬昭は王粛おうしゅくの娘王元姫おうげんきと結婚。子宝にも恵まれます。

司馬昭
司馬昭

よし、子供もできたし、僕も頑張らなきゃ!

王元姫
王元姫

あなた、頑張って!!

 景初2年(238年)魏王朝に仕えた司馬昭は、新城郷侯に封じられる。

 同じ頃、兄の司馬師も職に就きますが、すでに名は知られていました。

何晏
何晏

国政を任せられるのは、あたしか夏侯玄、司馬師くらいよね!

司馬昭
司馬昭

さすが、兄さん。何晏にまで誉められるなんて!

司馬師
司馬師

あんなヤク中に褒められても、嬉しくないけどな

 ちなみに何晏かあんは、論語ろんごの注釈書を作るなど、この時代随一の才人です。

 正始5年(244)、司馬昭は夏侯玄かこうげんの副官として曹爽そうそうの蜀攻めに参加します。

司馬昭
司馬昭

このままでは勝ち目がありません。撤退しましょう

夏侯玄
夏侯玄

やむを得ないな。曹爽は天に見放されたか…

 その後、正始10年(249)に事態が急変。

司馬懿
司馬懿

明日、我ら司馬一門はクーデターを敢行する!

司馬昭
司馬昭

ち、父上! 本気ですか!!

司馬師
司馬師

よし、勝負は明日だ! 今日はさっさと寝るぞ

司馬昭
司馬昭

寝れるわけないじゃん!!

 ほぼ引退していた司馬懿が突如復活して、首都の洛陽を制圧。曹爽そうそうや何晏を粛清します。これがのちに、高平陵の変(あるいは正始政変)と呼ばれます。

司馬懿
司馬懿

三千人もの兵士をどうやって隠していた?

司馬師
司馬師

この日のために少しずつ洛陽に住まわせておきました

司馬昭
司馬昭

さすが兄上!

司馬昭第二の危機 司馬師の死

 政権奪取後、王淩おうりょうの乱を鎮めた司馬懿は73歳で大往生します。

 その跡を継いだ長男の司馬師は、皇帝曹芳そうほうの司馬氏抹殺計画に直面。首謀者の李豊りほうを排除した後、一味である夏侯玄を捕らえます。

司馬昭
司馬昭

兄上! 夏侯玄殿は、天下に有用な方です!

司馬師
司馬師

馬鹿かおまえは。夏侯玄の方が、俺ら兄弟より人気あるんだぞ

夏侯玄
夏侯玄

司馬師が私を見逃すはずないよね

 司馬師はかつて義理の兄であった夏侯玄を粛清し、皇帝曹芳を廃位に追い込みます。

 正元2年(255)度重なる粛清に、危機感を持った毌丘倹かんきゅうけんが反乱を起こしますが、すぐに鎮圧。

 しかし、ここで司馬師は古傷が悪化し、死の床につきます。

司馬師
司馬師

傅嘏、大将軍の位は弟の昭に引き継いでくれ

傅嘏
傅嘏

わかりました

司馬師
司馬師

賈充、俺の私兵はおまえに引き継ぐ。昭を守ってくれ

賈充
賈充

陰になり日向になり、司馬昭様をお助けします

司馬師
司馬師

鍾会、おまえの知恵を昭に貸してやってくれ。あいつ、器量はあるが、知恵が足りない

鍾会
鍾会

司馬師様、御意!

司馬師
司馬師

もはやここまで来たら、司馬家は帝位を目指すしかない。三人とも頼む

傅嘏
傅嘏

なんと!

賈充
賈充

やはり、そこまで…

鍾会
鍾会

司馬師様、御意!

司馬師
司馬師

昭には、皇帝になる度胸も覚悟もないだろう。あまり考えさせず、俺の描いた道筋をたどらせてくれ

 司馬師は、司馬昭を呼び出して後事を託して許昌にて死去。享年48でした。

司馬昭
司馬昭

ああ、兄さんが死んでしまうなんて…。一体、僕はどうしたら…

傅嘏
傅嘏

とりあえず私と一緒に洛陽に戻りましょう。皇帝陛下がお待ちです

 皇帝曹髦そうぼう傅嘏ふかのみに軍を率いさせて司馬家から軍隊を離そうとしましたが、傅嘏は皇帝の命令を無視して司馬昭と共に洛陽に帰還しました。

 その結果、司馬昭は大将軍の位につきます。

傅嘏
傅嘏

これで司馬師様に頼まれたことは果たしました。あとは任せます

賈充
賈充

何を言われる。まだ始まったばかりではありませんか

傅嘏
傅嘏

これより先、愛する母国と、愛する友のどちらかが滅ぶ。それは見るに忍びない

鍾会
鍾会

わかった。あの世で司馬師様によろしくな

 司馬師の亡くなった同じ年、傅嘏も亡くなりました。享年46歳。

司馬昭
司馬昭

兄さんの後を追うように傅嘏まで亡くなってしまうなんて…

賈充
賈充

心労がたたったのでしょう。お気になさらず

司馬昭最大の危機 曹髦の反抗

 司馬昭は、温厚な性格と思われていたので、かつて曹爽政権に参加していた名士たちも、続々と司馬昭のもとに集ってきた。

司馬昭
司馬昭

僕は信義を第一として政治を行っていきたい!

賈充
賈充

よい考えと思います

鍾会
鍾会

(そんな考えでは、いずれ壁にぶちあたるぞ…)

 甘露2年(257)、諸葛誕しょかつたんの反乱が勃発。

司馬昭
司馬昭

首謀者の諸葛誕以外は全員許す! 呉の兵士たちも国に帰りなさい!

賈充
賈充

なんと、王者の言葉のようだ!!

 この赦免以降、天下の人は司馬昭の武力を恐れると同時に人徳を慕うことになったといわれます。

 しかし、何にでも反発があるもので…。

鍾会
鍾会

かくのごとく、すでに司馬昭は天下人の気分のようです

曹髦
曹髦

おのれ、司馬昭め…。目にものを見せてくれる!

 甘露5年(260)魏の皇帝曹髦は、わずかな手勢で挙兵します。

曹髦
曹髦

司馬昭の心は、路ゆく人も皆知っている。これ以上の辱めを受けることはできない

司馬伷
司馬伷

なんと、陛下自ら挙兵なさるとは…

 司馬昭の弟司馬伷しば ちゅうすらも、皇帝の威を恐れて手出しができませんでした。

曹髦
曹髦

我は皇帝である! 傷つければ、七代先まで祟りがおこるぞ!

賈充
賈充

戯言に構うな! お前らを司馬師様や司馬昭様が養ったのは今日のこの日のためだ!

 賈充率いる司馬家の私兵団に、あっけなく曹髦は殺害されてしまいます。享年20歳でした。

 すぐに、魏の首脳陣が集まり、善後策が検討されますが…。

陳泰
陳泰

賈充に責任を取らせるしかない。奴だってわかってるはずだ

司馬昭
司馬昭

しかし、賈充だけが僕を守ってくれた。彼を失うわけにはいかない

陳泰
陳泰

考え直せ。歴史に汚名を残すことになるぜ…

 親友である陳泰ちんたいの懇願も無視し、司馬昭は賈充を許しました。

 すでに司馬家が人心を掌握していたため、大きな混乱はありませんでした。

賈充
賈充

なんとか首がつながった。また、よろしく

鍾会
鍾会

よくもおめおめと生きていられるものだな

司馬昭
司馬昭

鍾会、そんな冗談言わずに。また、仲良くやろう

司馬昭最後の危機 鍾会の乱

 甘露5年(260)亡くなった曹髦に代わり、曹奐そうかんが魏の皇帝に即位します。

鍾会
鍾会

すでに蜀の天命は尽きました。今なら滅ぼせます

賈充
賈充

まだ、蜀に余力は残っていると思うが…

司馬昭
司馬昭

おもしろい、やってみよう!

 景元4年(263)司馬昭は、鍾会を総大将として蜀討伐の軍を興します。

王元姫
王元姫

鍾会は信用できない男よ。討伐軍を任せるべきではないわ

司馬昭
司馬昭

大丈夫、彼には人望がない。それはわかってるはずさ

 かくして、鍾会は蜀の国を制圧。さらに鍾会は、成都攻略に功績のあった魏の将軍鄧艾とうがいを、反乱の疑いで逮捕します。

賈充
賈充

鍾会にすべてを任せるのは危険です。私に行かせてください

司馬昭
司馬昭

あまり鍾会を疑うのはよくない。いたずらに追い詰めることになるかもしれない

賈充
賈充

万一のためです。鍾会を刺激しないように努めます

 逮捕された鄧艾を迎えるため、賈充は漢中に、司馬昭は長安まで移動しました。

鍾会
鍾会

賈充がやってくるのか…。ついに俺が狙われたようだな

 鍾会は蜀の将軍姜維きょういとともに、司馬昭への反乱を起こします。

 しかし、魏の将軍たちの逆襲に遭い、鍾会はあえなく戦死します。享年40歳。

賈充
賈充

なんと、あっけない…

司馬昭
司馬昭

鍾会は劉備になろうとした。自分自身を見誤っていたのだとしたら、悲しいね

司馬昭の失敗?! 司馬炎と司馬攸

 蜀討伐の最中、司馬昭は相国・晋公・九錫を下賜されます。さらに景元5年(264)には晋王の位を授かります。

賈充
賈充

ほぼ司馬師様の筋書きどおり進んでいます。あとは、後継者を確定させなければ!

司馬昭
司馬昭

え、後継者は司馬攸に決まってるじゃないか

 回想~司馬懿の生前の頃

司馬懿
司馬懿

昭の三男である攸が、我が家で一番の大器だ

司馬師
司馬師

じゃあ、俺の養子にくれ

 司馬昭の兄司馬師には男の子が生まれなかったため、司馬昭の三男である司馬攸しばゆうを跡取りとして養育しました。

 しかし、司馬師が若くして亡くなってしまったため、家督は司馬攸ではなく、弟の司馬昭が継ぐこととなったのです。(家系図は下記の通り)

司馬昭
司馬昭

もともと、兄上の天下だ。兄の家に帰すのが一番だよ

賈充
賈充

群臣はそれでは納得しません。長幼の序というものがございます

司馬昭
司馬昭

うーん、僕としては兄上の家系に家督を戻すのが、長幼の序だと思うんだけど

賈充
賈充

こんなことは言いたくありませんが、司馬師様は多くの者に恐怖を与えています。あの時代に戻りたくないというものは多いでしょう

司馬昭
司馬昭

ふーむ。君がそこまで言うなら、そうなんだろうな

賈充
賈充

わかっていただけましたか

 司馬攸の妻の父親は賈充でしたので、司馬攸が跡を継げば、賈充は外戚として権力を振るえる立場でした。

 その賈充が長男の司馬炎しばえんを推薦すべきと判断したのですから、司馬攸が後継者となれば波乱は必至でした。

司馬昭
司馬昭

では炎。お前を後継者に指名する。なすべきことは分かってるな

司馬炎
司馬炎

はい、任せてください、父上!

 咸熙2年(265)5月、司馬炎は正式に司馬昭の世子(後継者)に指名されました。

司馬昭
司馬昭

さて、僕がやるべきことはやった。賈充、あとのことは頼む

賈充
賈充

何を言われます。ようやく世子がきまったばかりではないですか

司馬昭
司馬昭

周の文王も魏の曹操も、死んだ後に天子になれた。違うかい?

賈充
賈充

それはそうですが…

 建安25年(220)漢の最後の年…。

曹操
曹操

ワシは周の文王になりたい。生きている内は、皇帝にならん!

了解だぜ、親父! 俺が皇帝になればいいんだな!

 曹操と曹丕が作ったルールは、皇帝を上回る徳(権力)を持った親が亡くなり、代替わりして、その子供が皇帝の位を譲り受け、政権交代を果たすという形でした。

司馬昭
司馬昭

僕が皇帝になっては気分が悪い者も多いはず…。司馬攸のこと頼むよ

賈充
賈充

わかりました…

 咸熙2年(265)8月、司馬昭逝去。享年54歳でした。

 同じ年12月。司馬炎は皇帝の位に就き、晋の国を興します。

司馬炎
司馬炎

父上には、最高の『文』の諡がふさわしい

賈充
賈充

はい。本当に素晴らしい方でした

でも、こういう時、父親には最高の言葉を贈るものじゃないの?

賈充
賈充

必ずしもそうじゃないですよ

 ちなみに、漢から魏の政権交代の時、魏の初代皇帝曹丕そうひは父の曹操に『武』のおくりなを贈っています。

ええ、あんなに周の文王に憧れてたのに!!

曹丕
曹丕

だって『文』は自分のために残したいじゃん

こいつ、サイテー

 つづく。

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