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【蜀のラストサムライ】蜀の将軍霍弋は、南方に蜀の遺臣の国を築く?

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 炎興元年(263年)劉備りゅうびが作った蜀(漢)の国は滅びました。

 しかし、蜀の人々が消え去ったわけではありません。

 多くの蜀の遺臣は、蜀を滅ぼした魏の国(のちに晋)に仕えましたが、一人南方に活路を見出すものがいました。

 それが今回お話をする霍弋かくよく(紹先)です。

新解釈・三國志 -異聞-
劉備が諸葛亮孔明を軍師に迎える際に三度訪ねたとする有名な故事。果たしてこの故事はどのようにして生まれたのか。劉備 (大泉洋)、関羽 (橋本さとし)、張飛 (高橋努) による綿密な打ち合わせが、思わぬ方向に…。

劉備、諸葛亮に認められた霍弋

 霍弋は荊州南郡枝江県の人で、父は劉備が益州攻略の時に大功のあった霍峻かくしゅんです。

 父の霍峻は若くして亡くなりましたが、蜀漢の皇帝となった劉備は霍峻の功を忘れませんでした。

劉備
劉備

霍峻の子の霍弋を、劉禅の側近にしよう。きっと立派な男になる

霍弋
霍弋

はい、ありがとうございます

 霍弋は、皇太子だった劉禅りゅうぜんの太子舎人に任命され、劉禅が後を継ぐと謁者に登用されました。

 霍弋の仕事ぶりは、蜀の丞相の諸葛亮しょかつりょうにも評価されます。

諸葛亮
諸葛亮

霍弋は大器です。もっと広い世界を見聞しなければなりません

霍弋
霍弋

はい、ありがとうございます

 諸葛亮の養子の諸葛喬しょかつきょうとともに、見聞を広める巡察を行いました。

 しかし、諸葛喬が若くして亡くなり、さらに丞相の諸葛亮も亡くなってしまいます。

劉禅
劉禅

霍弋は有能だと思うんだけど…。ちょっと怖いんだよね

霍弋
霍弋

なんですと!

 霍弋は諸葛亮の死後、皇太子であった劉璿りゅうせんの太子中庶子(補佐役)に任命されました。

 劉璿に対しても霍弋は諫言(注意)を繰り返したため、結局は成都の外に出されることになってしまいます。

張嶷
張嶷

異民族との戦いは辛いぞ。できるのか?

霍弋
霍弋

実戦は始めてですが…。やれると思います

 永昌郡の獠族が反乱を起こしたため、霍弋は永昌太守となり一軍を率いて討伐に向かい、見事鎮圧しました。

 この功績で監軍・翊軍将軍・建寧太守となります。

張嶷
張嶷

南中は治めるのに難しい土地。だが、きっと君ならできるはずだ

霍弋
霍弋

はい、ありがとうございます

 病気のため成都に戻った張嶷ちょうぎょくに代わって、南中(蜀の国南部)の軍政を統括することになりました。

蜀滅亡時の霍弋の対応

 景耀6年(263)霍弋は、安南将軍となりました。

 しかし、北から魏の国が大軍で迫っているという情報が届きます。

霍弋
霍弋

魏の大軍が近づいています。我が軍にも成都を守らせてください!

劉禅
劉禅

大丈夫、防備は万全だ。霍弋は、南方をしっかり抑えておいてくれ

 成都から援軍を断られ、霍弋は事の成り行きを傍観することになってしまいました。

 結果として霍弋の予想通り、魏の軍は成都まで乱入。

 諸葛瞻しょかつせん率いる守備隊の壊滅した蜀の国は、魏の軍に降伏してしまいます。

孟幹
孟幹

たいへんたいへん! 成都が占領されて、劉禅様は降伏した模様です!

霍弋
霍弋

慌てるな。まずはとるべき態度がある

 蜀漢が滅亡したことを知った霍弋は、喪服を着て哭礼(泣きながらする追悼)を行ない、三日間の喪に服しました。

楊稷
楊稷

こちらも、はやく魏軍に連絡を取り、降伏した方がいいのでは?

霍弋
霍弋

今は劉禅様の安否も分からない。降伏は時期尚早だ

毛炅
毛炅

それで事態が好転するとは思えませんが…

霍弋
霍弋

もしかしたら劉禅様が、辱めを受けているかもしれない。そうであれば、私は死を賭して魏と戦う! 遅い早いは問題ではない!

 結局、劉禅は礼遇されて洛陽に移送されました。

 無事に劉禅が去ったのを見届けた後、霍弋は南中六郡の太守・大将を率いて魏に降伏したのでした。

霍弋
霍弋

父や母と同じように、人には主君が必要です。蜀の国が亡くなった今、これより魏の国に仕えます

賈充
賈充

なんと! 蜀にこのような家臣がいたのか!

司馬昭
司馬昭

感動した! 霍弋殿には、このまま南中を治めてもらおう!

賈充
賈充

はい。どのみち南中は難治の土地。よそ者には治められないでしょう

 かくして、霍弋はそのまま益州南部を任され、南中都督に任命されました。

交州の争乱と霍弋の夢

 実は、蜀漢が滅亡したこの時、南方の交阯の町(現在のベトナム北部)でも争乱が起きていました。

孫休
孫休

交州で孔雀三千羽を集めてきてくれ。今度の宴で使いたい

孫諝
孫諝

えっ、孔雀三千羽もですか?

 永安5年(262)呉の国の皇帝孫休そんきゅうが下した命令により、呉の交阯太守孫諝そんしょは孔雀や大猪を送るように要求しました。

 しかし、かねてからの呉の暴政に交州(交阯周辺の町々)の人々の怒りが爆発します。

呂興
呂興

もう我慢ならん。呉の人間はすべて出ていけ!

孫諝
孫諝

ああ、やっぱり!

 永安6年(263)郡吏の呂興りょこうは、兵士や民衆、異民族も誘い込んで反乱を起こし、孫諝を打ち倒しました。

 呂興の反乱は交阯郡だけにとどまらず、九真郡・日南郡にも広がります。

孟幹
孟幹

交州の呂興から援軍要請が来ています!

霍弋
霍弋

…わかった。出兵しよう!

 呂興からの要請に答え、霍弋は洛陽に上表文を送り、交州に兵を送りました。

呂興
呂興

援軍はまだ来ないのか!

 魏は呂興を使持節・都督交州諸軍事・南中大将軍・定安県侯任命しますが、呂興は部下にやられてしまいました。

楊稷
楊稷

交州は再度、呉に占領されてしまったようですが…

霍弋
霍弋

まだ混乱は収まっていない。今が好機!

 この間、呉の国は皇帝の孫休が亡くなり、新皇帝の孫晧が即位しました。

 光州への対応ができないとみた霍弋の計略に従って、楊稷・毛炅・孟幹らがに水陸両方から進軍。

 見事に交州(交阯・九真・日南の三郡)を平定しました。

孟幹
孟幹

やったぁ! 交州は僕たちのものだ!

霍弋
霍弋

その通りだ。魏の国も呉の国もここでは関係ない。ここに、私たちの国を作るぞ!

楊稷
楊稷

なんと! 独立でもするですか?

霍弋
霍弋

わざわざ宣言するつもりはない。だが、実質、交州は誰の支配も受けない国となる

毛炅
毛炅

あとは呉の国のやつらがどう出るか…

 この頃、中原では魏の国が滅び、晋の国が興ります。

 呉の国は、晋の国と敵対しない方針をとり、交州に一時的な平穏が訪れるのでした。

呉の皇帝孫晧の反撃

 泰始4年(268)呉の皇帝孫晧そんこうがついに檄を発し、大都督の修則や交州刺史の劉俊らを交州奪還に派兵します。

孫晧
孫晧

交州は呉の一部! いつまでも泥棒に占拠される訳にはいかない

修則
修則

わかりました! なんとかやってみます

 しかし、呉の派遣した大都督修則・交州刺史劉俊は、三度にわたって破れてしまいます。

毛炅
毛炅

呉の兵士はこんなもんか!

修則
修則

なんと! 蜀の敗残兵と聞いていたのに

楊稷
楊稷

交州は、俺たちの国だ。お前たちなんぞに渡さん!

 ついに、古城の地において呉の大都督修則・交州刺史劉俊は討ち取られてしまいました。

 この功績で、楊稷は交州刺史に、毛炅は鬱林太守に、霍弋は列侯に封じられたのです。

孫晧
孫晧

ええい、何たるざまだ。蜀の敗残兵どもを倒すものはいないのか!

陶璜
陶璜

私にお任せください!

薛珝
薛珝

きっと孫皓様の意に添うように!

 建衡元年(269)呉の国は、海路と陸路の二方面から軍を展開。

 しかし、海路の軍を率いていた李勗りじょが、道案内を不服として突如として離脱してしまいます。

 やむなく呉の軍は陸路の軍だけで交州の軍勢と戦いますが、分水の地で二将軍を失い、合浦の地に退却することになるのでした。

薛珝
薛珝

おまえは、自ら賊を討つといったのに口だけか!

陶璜
陶璜

思うとおりに軍も動かせず、どうして勝てようか!

 呉の大都督薛珝と、蒼梧太守陶璜が罵り合うほど、呉の軍は険悪な状態となってしまいました。

 一方、中原での状況は…。

羊祜
羊祜

交州に呉の軍が攻めてこんでるようだけど援護しないの?

賈充
賈充

交州は遠すぎる。とても援軍など送れん

 交州での戦いに、洛陽の政府は傍観を決め込んでいました。

霍弋の死と夢の終わり

 この時、霍弋の命の灯は消えようとしていました。

霍弋
霍弋

まだ呉軍は迫っているというのに…。無念だ

孟幹
孟幹

霍弋様! しっかりして!

霍弋
霍弋

交州を捨てよ。私がいなければ、呉の軍は止められん

楊稷
楊稷

なんと! 気弱な言葉を!

霍弋
霍弋

呉の陶璜は名将だ。皆が死ぬのを黙って見ていられん

毛炅
毛炅

霍弋様の言葉でも聞けないことはある! 交州はみんなの国だ

霍弋
霍弋

わかった。では、籠城を百日持ちこたえよ。それだけ耐えれば洛陽の連中も文句は言えないはずだ

 かくして蜀の遺臣霍弋は亡くなってしまいました。

 そして、さんざん霍弋に翻弄されてきた呉の国が、ついに本気を出すのです。

孫晧
孫晧

時はきた! 総力で交州を落とす!

陶璜
陶璜

今度こそ、失敗いたしません!

 陶璜は海路で九真郡を攻め、調略などを駆使して、九真郡を奪還。

 南岸にいた賊も倒し、陶璜は交州刺史に任命されました。

 建衡3年(271)ついに呉の国は、大都督薛珝・交州刺史陶璜率いる10万の大軍を交阯に派遣するのでした。

毛炅
毛炅

くそったれ、なんて数だ!

薛珝
薛珝

はっはっは! ゴミどもめ、消えろ消えろ!

 毛炅は孟岳らと防戦しますが、封渓において敗北しました。

 楊稷・毛炅・孟幹らは最後の砦である交阯の町に籠城します。

孟幹
孟幹

晋からの援軍はないのですか? せめて荊州を攻撃してくれれば…

楊稷
楊稷

洛陽の人間たちは、ここを晋の国とは思っていないだろう。霍弋様も羅憲様も亡くなった今、誰も我らのために動いてはくれまい

孟幹
孟幹

僕たちの国がなくなる…!

毛炅
毛炅

くそ! かくなる上は…

 百日後、食料もなくなり、楊稷たちは呉軍に降伏しました。

陶璜
陶璜

大慶大慶! 呉の国は、君たちを歓迎するぞ!

毛炅
毛炅

うるせえ! おまえさえいなくなれば!!

 毛炅には降伏するつもりはなく、呉の将軍陶璜を襲撃しようとしていましたが、未然に発覚して捕らえられてしまいます。

陶璜
陶璜

せっかく許したのに、恩知らずが!

毛炅
毛炅

俺の願いは、俺たちの国を滅ぼした孫晧を滅ぼすことだ。犬どもには分からんだろうがな!

 毛炅は腹を裂かれても、悪態をつきながら亡くなりました。

楊稷
楊稷

俺たちの国が亡くなった…。俺には耐えきれん

 楊稷は建業に移送される途中、血を吐いて亡くなりました。

孟幹
孟幹

呉の国なんていられるか!

 孟幹は、建業にまで移送されたのち、隙を見て逃亡。

 洛陽で日南太守を拝命しました。

しかし、霍弋や羅憲たちのような蜀の遺臣たちが呉を嫌い抜いてるのはなんでだろ?

陳寿
陳寿

呉の国は大義名分もなければ、信義のかけらもありませんからね

ちょっと言いすぎじゃない

陳寿
陳寿

いえ、今回の件でも呉の二将軍の陶璜と薛珝が仲直りした話が最悪です

 建衡元年(269)呉の将軍虞汜・陶璜らの軍は、分水で楊稷らの西晋軍と戦ったが敗北。薛珝は怒って撤兵しようとしました。

 そこで陶璜は西晋の陣に夜襲を仕掛け、宝物を略奪して帰還。戦果を見た薛珝は陶璜に謝り、前部督に任じました。

え、これ賄賂じゃん!

陳寿
陳寿

霍弋殿の部下が呉に仕えなかったのも仕方ないですね

 つづく。

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