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【呉の最後の希望】陸抗と羊祜の『羊陸之交』の真相は?【陸遜の子】

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 三国志演義のハイライトの一つに『夷陵いりょうの戦い』があります。

 関羽・張飛かんう ちょうひを失って復讐に燃える劉備りゅうびを、呉の将軍陸遜りくそんが撃退し、劉備が亡くなる原因にもなりました。

 陸遜はその後、呉の丞相(首相)にまで出世しますが、呉の皇帝孫権そんけんの後継者争いに巻き込まれます。

 その跡を継いだのが、本稿で話します陸抗りくこう(字は幼節)です。

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陸抗といえば、晋の将軍羊祜と『羊陸之交』と言われるほど、敵同士なのに友情を持っていたというけど…

羊祜
羊祜

あれは友情なのかな?

陸抗
陸抗

信頼に値する人間なのかを見極めたかっただけですね

陸抗と孫権

 黄武5年(226年)陸抗は、呉の重臣陸遜と孫策(孫権の兄)の娘の間に生まれました。

 ちなみに、陸氏は『呉の四姓』と呼ばれる呉における名門のひとつです。

 陸氏の本家陸康りくこうが孫策に敗れて一家離散しますが、陸遜は恩讐を越えて孫権に仕えます。

 孫権も陸遜を重用し、陸遜は劉備を破る等の数々の功績をあげました。

若い頃の孫権の人使いは上手いよね

陸抗
陸抗

そうですね。若い頃は…

 赤烏8年(245年)いわゆる『二宮事件にきゅうじけん』と呼ばれる孫権の後継者争いに巻き込まれ、陸遜は亡くなってしまいます。

 父の陸遜の遺体を連れて陸抗は故郷に帰りますが、途中に呉の首都建業けんぎょうに立ちよった際、孫権が待ち構えていました。

孫権
孫権

陸抗! おまえの父陸遜があの世に逝った処で、罪を許した訳ではないぞ

陸抗
陸抗

では、父に代わって弁明します

 陸抗は20条もの孫権の疑いを全て論破。父の無実を証明しました。

孫権
孫権

陸遜には申し訳ないことをした。ワシが送った詰問の文書は焼き捨ててくれ

陸抗
陸抗

では、そのようにいたします

 陸抗は、孫権の遺言通り、詰問の文書をすべて処分しました。

写しだけでも残してくれればよかったのに!

陸抗
陸抗

そういうわけにはいきません。あれでも、皇帝陛下ですから

陸抗の逸話

 陸抗は、父の陸遜の跡を継いで建武校尉となり、父の配下の兵士5000人を預かって武昌ぶしょうの城に駐屯しました。

 赤烏9年(246年)陸抗は立節中郎将になり、柴桑さいそうの城にいる諸葛恪しょかつかくと配置換えになりました。

 この時、陸抗は武将の城をきれいに整備してから退去し、諸葛恪を驚かせました。

諸葛恪
諸葛恪

なんと! 後任者のために、城を直してから引き渡すとは!

陸抗
陸抗

当然のことをしたまでです

ちなみに諸葛恪は、城がボロボロのまま引き渡したよ!

 その後、吾彦ごげんという者を将軍に抜擢したいと思った陸抗。しかし、吾彦は身分が低かったため、諸将から反発が予想されました。

陸抗
陸抗

能力がある人を抜擢しなければ国は滅びます。でも、能力って目に見えないんですよね

確かに!

 宴の席に白刃で踊る狂人を出現させ、諸将が恐れおののく中、吾彦に止めさせるというパフォーマンスを実行しました。

吾彦
吾彦

私が止めている間に、皆様は避難を!

なんと勇敢な若者だ!

 これにより諸将は吾彦の勇敢さに感心し、将軍に抜擢することができました。

これって、やらせなんじゃ…

陸抗
陸抗

まあ、嘘も方便。皆が納得するのが一番です

陸抗と孫晧

 孫権が亡くなり、子の孫亮そんりょうの時代。陸抗は、諸葛誕しょかつたんの乱で援軍を率いて魏軍を破り、征北将軍に昇進しました。

 次の皇帝孫休そんきゅうの時代には、鎮軍将軍に任命され、仮節を与えられました。

 蜀漢の滅亡の際に永安えいあんを囲みましたが、旧蜀将羅憲らけんの籠る城を落とすことができませんでした。

陸抗
陸抗

援軍への対処が弱かったですね。教訓といたします

 永安7年(264年)第三代皇帝孫休が亡くなり、呉は第四代皇帝孫晧そんこうが即位します。

孫晧
孫晧

時はきた! 呉は新時代を迎える

 孫晧は、父の廃太子孫和そんわに文帝と諡をして名誉を回復し、生母の何姫に太后の位を与えました。

 一方で、先帝の妻や息子たちを亡きものとし、先帝の旧臣濮陽興ぼくようこう張布ちょうふを誅しました。

歩闡
歩闡

新しい皇帝陛下は、変化を求めている! 我らの荊州に遷都してもらおう

陸抗
陸抗

わざわざ荊州に来てくれますかね?

歩闡
歩闡

俺が信じる占い師も、荊州に王の気が上がっているといってる。荊州に陛下がやってくる前兆だ!

陸抗
陸抗

占い師の言葉を真に受けると身を滅ぼしますよ

 甘露元年(265年)西陵督歩闡ほせんは、孫皓に荊州の武昌の街に遷都することを提案します。

孫晧
孫晧

確かに建業の城は古臭い。武昌こそ新しい時代にふさわしい

歩闡
歩闡

よっしゃ。お待ちしております

 かくして孫皓は武昌に遷都。しかし、孫皓の遷都は批判にさらされました。

 一番の批判者は陸抗の同族で、左丞相の陸凱りくがいでした。

陸凱
陸凱

武昌は狭小で、都には適しません! 何より、一年分の備蓄もない我が呉の国は、内政を固めるべきです

孫晧
孫晧

俺は祖父の孫権がしていたようにやっているだけだ! 何の問題がある

陸凱
陸凱

孫権様はたくさん意見を聞いた上で、判断を下していました!

孫晧
孫晧

んなわけねーだろ! 誰のことを言ってるんだ!

 孫皓と陸凱の論争は、残念ながら噛み合いませんでした。

陸抗
陸抗

これは陸凱様が若い頃の孫権様をイメージしているのに対して、孫皓様は老害になってからの孫権様をイメージしているのですね

なるほど! 認識のズレがあるんだね

 宝鼎元年(266年)建業で孫晧の弟である孫謙そんけんを担いだ反乱が勃発。

 すぐに反乱は鎮圧されましたが、孫皓は建業に戻りました。

孫晧
孫晧

反乱を炙り出せたということは、武昌に行った甲斐はあった。これからは建業で政務を取る

陸凱
陸凱

ともあれ建業に陛下が戻ってくれた。これで安心できます

 建衡元年(269年)陸凱は亡くなります。この際、多くの人臣と共に、陸抗を重用するように推薦しました。

陸凱
陸凱

私の死後は、陸抗こそ忠臣として力を尽くします

孫晧
孫晧

建業に呼ぶと面倒そうだが…。荊州で重職を与える分にはよかろう

 かくして陸抗は都督西陵・夷道・信陵・楽郷・公安諸軍事となりました。

 なお、武昌に遷都したのと同時期に、中原では魏の国が滅び、晋の国が興っています。

陸抗VS羊祜~西陵の戦い

 鳳皇元年(272年)孫皓は、歩闡を呼びつけました。

歩闡
歩闡

やばい…。遷都の失敗を俺のせいにされて、ぬっころされるに違いない!

遷都が失敗って認識はあったんですね

歩闡
歩闡

かくなる上は、晋に西陵の城ごと降伏するしかない!

羊祜
羊祜

寝返り了解でーす

 歩闡は西陵(旧名は夷陵)の城に立て込もって、晋に援軍を要請します。

 晋の国は歩闡を都督西陵諸軍事・衛将軍・開府儀同三司・侍中・交州牧に任命。晋の都督荊州諸軍事の羊祜ようこが救援に向かいました。 

 対する呉は、陸抗が迎え撃ちます。

陸抗
陸抗

仲間だった者を討つのは気が進みませんが…。西陵は荊州の要衝。晋に渡す訳にはいきません

 陸抗は西陵に軍を送りますが、すぐに城を攻めず、包囲陣を作らせました。

吾彦
吾彦

士気は高まっています。すぐに総攻撃を仕掛けましょう!

陸抗
陸抗

いや、西陵は堅城です。おそらく落城前に晋の援軍が到着しますので、防ぐための包囲が必要です

 陸抗はかつて西陵にいたため、西陵が難攻不落の城であることを知っていました。

 なので諸将の反対をよそに、陸抗は自軍を守るための壁をまず作ったのです。

羊祜
羊祜

西陵の呉軍の防備は固そうだ。別なところを攻めるべきか…

 羊祜は西陵ではなく、別な要地である江陵に進軍を開始します。

陸抗
陸抗

江陵の防備は万全で、簡単には落ちないはず。我が軍はこのまま西陵を攻めます

羊祜
羊祜

あてが外れた! 評判以上に陸抗は名将だ

 永安の戦いの教訓に学んだ陸抗は、江陵に行かず、西陵を攻めたてました。

 しかし、晋の別動隊である荊州刺史楊肇ようちょうが西陵に到着。士気の低い呉軍から脱走者が相次ぎました。

陸抗
陸抗

晋軍に、我が軍の弱点が蛮族の部隊であることがばれたようです

吾彦
吾彦

なんと! どういたしましょう?

陸抗
陸抗

今夜のうちに蛮族部隊と精鋭部隊を配置換えします。うまくいくといいのですが…

 次の日、晋の楊肇の軍は総攻撃するも崩せず、陸抗に大敗。

 楊肇は、夜に撤退を開始しました。

 陸抗は兵士たちに大声を出させて、晋の軍を動揺させ、少数の兵で晋軍を多数討ち取ります。

 楊肇軍の敗北を受けて、羊祜も撤退。陸抗は西陵の城を奪還しました。

歩闡
歩闡

俺の薔薇色の未来が!

陸抗
陸抗

占いに頼るから、そうなるんですよ

陸抗と羊祜~羊陸の交わり

賈充
賈充

羊祜は八万の軍勢で、三万の陸抗軍に敗れました。免職すべきです

司馬炎
司馬炎

いや、荊州に羊祜以上の適任者はない!

 西陵の大敗を受け、羊祜は平南将軍に降格。荊州刺史楊肇は罷免させられました。

羊祜
羊祜

陸抗は想像以上の男だった。戦術では、とても勝てない

王濬
王濬

どういたしますか?

羊祜
羊祜

戦いは、斬りあうばかりじゃない。荊州の人に恩恵を与え、機が熟するのを待とう

 羊祜は荊州に徳による善政をしき、人々の支持を集めました。

 さらに益州刺史王濬おうしゅんに、長江の上流に二千人が乗れる戦艦を建造させました。

吾彦
吾彦

晋の羊祜は何を企んでいるのでしょう?

陸抗
陸抗

徳政で荊州の名士たちを呉から引き離し、我らの基盤が弱体化したところを、巨大戦艦でバチコーンと攻めこもうというのでしょう

吾彦
吾彦

なんと恐ろしい! 対抗策はあるのですか?

陸抗
陸抗

徳には徳で対抗ですね

 羊祜に対抗し、陸抗も善政を行ったため、荊州では落とし物をネコババする者すらいなくなりました。

陸抗
陸抗

しかし、国力が違いすぎて、このままではジリ貧です。ひとつ贈り物をしてみましょう

吾彦
吾彦

羊祜にですか?

 陸抗は、羊祜に呉の美酒を送りました。

劉弘
劉弘

酒と一緒に手紙も一緒に届いております

羊祜
羊祜

なになに…。読んで見せてよ

劉弘
劉弘

『羊祜殿が、洛陽の小人に足を引っ張られているのは見るに忍びない。呉に亡命すれば、明日にでも大将軍や丞相になれましょう』と書いてあります

羊祜
羊祜

陸抗は面白い男だね! では、こちらも贈り物を送ろう

 羊祜は陸抗にもらった酒を飲み干し、逆に陸抗に自分が飲んでいる薬を送りました。

吾彦
吾彦

『僕が飲んでるストレスに効く薬を陸抗殿に送る。これを飲んで気持ちを落ち着かせ、晋に降伏するのが最善の策だということをわかってくれ』とあります

陸抗
陸抗

ふふふ…。さすが、晋の国はいろんな薬があるもんだね

 陸抗も、羊祜にもらった薬をためらわず服用しました。

 こんなやりとりに、腹を立てたのが呉の皇帝孫晧でした。

孫晧
孫晧

二人で楽しんでんじゃねえ!

陸抗
陸抗

些細なやり取りです。お気になさらず…

孫晧
孫晧

何が些細だ! お前が裏切ったら、呉の国は滅ぶんだぞ

陸抗
陸抗

それを知っていて、どうしてそんなことを言われますか?

孫晧
孫晧

ぐぬぬ…

 陸抗は孫晧の問責に、羊祜の信義にこちらが無法で答えれば、人心が離れると説明しました。

 かくして鳳凰2年(273年)陸抗は大司馬・荊州牧の職を授けられます。

 鳳凰3年(274年)に陸抗が亡くなるまで、荊州はかりそめの平和が訪れたのです。

結局『羊陸の交わり』って…

羊祜
羊祜

現代でいうと、敵対企業の中間管理職同士が、会社を首になったら相手企業に雇ってもらう暗黙の約束のようなものかな?

陸抗
陸抗

まあ、似たようなことは皆さんやってますよ

でも、現に国境を接している相手と仲良くするのは珍しいのでは?

陸抗
陸抗

まあ、それは…

羊祜
羊祜

どっちの国にも話の分かる人が少なかったってことだね

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 つづく。

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