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【破竹の勢い】一介の学者杜預は、なぜ呉を討つ大役を得たのか?【三回の罷免】

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 今回は呉の国を滅ぼし、三国志を終わらせた男、杜預とよ(字は元凱)の生涯です。

杜預は、破竹の勢いで呉の国を滅ぼした将軍だよね

陳寿
陳寿

はい。一介の学者から征南大将軍まで駆け上ったのは、見事の一言です

あれ? 杜預は武門の家系じゃないの

陳寿
陳寿

では、杜預の祖父と父からお話しましょう

三国志 Three Kingdoms #95 司馬氏、天下を統一す
曹叡の体調は悪化の一途を辿っていた。軍の統率権を奪われた司馬懿は、官職を辞すると共に、部下の職も解き、セイシュと結婚する…

杜預の祖父杜畿

 杜預の祖父杜畿ときは親孝行で有名になり、鄭の県令を代行することになります。

杜畿
杜畿

よっしゃ! いっちょやったるか

なんて仕事の速い男なんだ!(ちょっと雑だけど…)

 ここで滞っていた数百件の裁判をすみやかで公正に処理し、周囲を驚かせました。

荀彧
荀彧

杜畿は国士です。ぜひ登用しましょう

曹操
曹操

マジか! いろんな所に人材はいるもんだな

 杜畿の発言を聞いた荀彧じゅんいくに推薦され、杜畿は曹操そうそうに仕えることになります。

荀彧に推薦されるって、すごいですね!

陳寿
陳寿

荀彧が推薦した人は、みんな大臣や将軍になります。杜畿も優秀だったのでしょう

 その後、杜畿は西域での仕事をこなし、建安11年(206年)重要拠点である河東太守を任されます。

 しかし、この時、河東郡では旧袁紹えんしょう軍により反乱が起きていました。

荀彧
荀彧

河東太守になってほしい。すでに反乱軍に寝返っている者も多いようだから、大軍を準備しよう

杜畿
杜畿

いえ、大丈夫です。まず私だけで敵地に乗り込んで、掻き乱してきます

 杜畿はほぼ単身で河東郡に乗り込み、内部をかく乱しつつ、味方を集め、ついに反乱軍を打ち破りました。

 その後、河東郡をよく治め、涼州や漢中の戦いでは曹操軍に食料を送り続けました。

曹操
曹操

杜畿は、蕭何(前漢の宰相)や寇恂(後漢の功臣)と同じくらいすごい! 今後もワシのために働いてくれ

杜畿
杜畿

ありがとうございます

 河東太守を16年勤めた杜畿は、曹丕が魏の皇帝に即位すると、洛陽に召還されて尚書僕射になります。

尚書僕射!? いきなり国の中枢じゃないですか

陳寿
陳寿

しかし、禍福は糾える縄の如し…

杜預の父杜恕

曹丕
曹丕

ちょっと出掛けてくる。その間、俺様が乗るでかい船を作ってくれ。

杜畿
杜畿

わかりました!

 曹丕に留守を任された杜畿は、皇帝用の船を造り上げ、陶河で試験運航を行いました。

 しかし、風にあおられて船は転覆。杜畿は河の藻屑と消えてしまいました。

タイタニックみたいな最期だったんだ…

陳寿
陳寿

やや不可解ですね。これまでの杜畿の有能さを考えると…

 この時、一緒にいた諸葛誕しょかつたんは助かっており、杜畿を先に救えと叫んだと伝えられます。

まさか陰謀?! 恨んでる人がいたの?

陳寿
陳寿

曹丕が留守役を頼んだのは、杜畿と司馬懿の二人です。何か意見の相違があったのかもしれません

仲達は、確かにやりかねない…

 かくして、杜畿は亡くなり、杜預の父杜恕とじょが家督をつぎます。

杜恕
杜恕

親父は司馬懿にヤられた。俺はあいつらを決して許さねえ

司馬家を敵に回さない方がいいと思うけど…

 杜恕は議論があるたびに正論を主張する一方、李豊りほうなどの反司馬陣営と親しくしました。

 さらに杜恕は、公式の文書で司馬懿の弟を貶める内容も書いています。

杜恕
杜恕

司馬懿の弟だからと言って、キ◯ガイを取り立てるべきじゃない

あれ? 司馬懿の兄弟って八達と呼ばれて、みんな優秀なはずじゃ…

陳寿
陳寿

実は司馬通という、ちょっと残念な弟がいたのです

 杜恕は幽州刺史になりますが、そこでも自分を曲げなかったため、征北将軍程喜ていきから弾劾されます。

司馬師
司馬師

杜恕うぜーな。ヤッちまうか、親父?

司馬懿
司馬懿

杜恕など小物。流罪でよかろう

 嘉平元年(249年)杜恕は平民に落とされ、流刑の上、幽閉されました。

杜恕
杜恕

息子よ、俺をまねるな。復讐は何も生み出さん

杜預
杜預

はい、父上! 歴史を学び、模範とします

 杜恕は、配所でそのまま亡くなります。

 杜預もまた平民の身分のまま、春秋左氏伝など経典を研究しつつ、在野の学者として日々を過ごしました。

陳寿
陳寿

とはいえ、杜恕が流刑になった5年後、同志だった李豊一味は、家族ともども粛清されています

命があったのが、不幸中の幸いと思うしかない

杜預の紆余曲折な生涯

 司馬懿・司馬師しばい しばしが亡くなると、甘露2年(257年)かつて杜畿の部下だった楽詳がくしょうが奏上しました。

楽詳
楽詳

畏れながら杜畿の孫、杜預を許してやるべきかと

司馬昭
司馬昭

うむ。杜預は有能な人材と聞いている!

杜預と鍾会

 時の最高権力者司馬昭しばしょうは、杜預を元の身分に戻し、自分の妹と結婚させ、さらに出世コースである尚書郎に任官させます。

やった! いきなり大逆転だ

陳寿
陳寿

おそらく杜預を引き立てようとした人物がいます

そんな奇特な人がいたの?

陳寿
陳寿

私の予測では鍾会という男です。彼が、杜預の軍事的才能も見出したのでしょう

うわ、ざわざわする…

 杜預は尚書郎に四年勤めた後、軍事部門に配属されます。

 景元4年(263年)蜀を攻める際は、鎮西将軍鍾会しょうかいの副官(鎮西長史)になりました。

鍾会
鍾会

杜預! 俺と一緒に憎っくき司馬一族をぶっ潰そう

杜預
杜預

いや、別に僕は恨んでないよ

 蜀の都成都せいとを制圧した鍾会は、15万の大軍で司馬家に反乱を起こしますが、大失敗!

 鍾会は命を落としますが、杜預はクーデターに参加しなかったため、難を逃れました。

危ないところだったね

杜預
杜預

こんな行き当たりばったりの反乱は成功しませんよ!

杜預と石鑒

 洛陽らくように戻った杜預は、賈充かじゅう羊祜ようことともに泰始律令を創ります。

陳寿
陳寿

泰始律令は、世界最古の律令制度です。杜預は、実務の中核を担いました

日本の大宝律令や養老律令の元となる法律ですね

 晋建国後、河南尹(洛陽行政長官)を代行すると、司隷校尉(首都圏監察官)石鑒せきかんに人事評価のやり方について質問されます。

石鑒
石鑒

新しい法律ができたみてえだが、人事評価のやり方も変わったのか?

杜預
杜預

はい! 毎年、直属の上司が優劣どちらかの評価を下します。六年後、の多い者は昇格させ、が多いものを左遷します

石鑒
石鑒

何言ってるのか、わからん!

杜預
杜預

なんで?!

 前々から杜預を嫌っていた石鑒によって、杜預は左遷させられます。

 この頃、涼州で反乱が起き、杜預は秦州刺史になりますが、この時の上司も安西将軍となった石鑒でした。

杜預
杜預

敵の勢いが強いので、攻めるのは来年まで待ちましょう

石鑒
石鑒

ビビってんのか! 腰抜け野郎

 またしても意見が合わず、杜預は職務怠慢の罪で逮捕されます。

 ですが、石鑒が反乱軍に敗れたため、逆に杜預の武名は上がりました。

 再起した杜預は度支尚書(財務官僚)に任命され、物価の安定を図り、税制を整え、農業促進策や辺境防衛策を上奏しました。

 しかし、ここで石鑒が洛陽に帰ってきます。

杜預
杜預

石鑒は自らの戦功を水増ししています!

石鑒
石鑒

なんだ、コノヤロー! このくらい皆やってるだろうが!

杜預
杜預

そういう考えが間違いなのが、なぜ分からないんですか!

石鑒
石鑒

それなら皆に言え! 俺にだけ言うんじゃねえ

司馬炎
司馬炎

うるさい! お前たち二人ともクビだ

 杜預と石鑒の二人が声を荒げて言い争ったため、喧嘩両成敗で杜預は罷免されます(石鑒も公職追放)。

なかなかうまくいかないね…

陳寿
陳寿

叩き上げの石鑒と学者肌の杜預とは、相性が悪かったようです

杜預と司馬炎

 数年後、再び杜預は度支尚書に返り咲きます。

 度支尚書の職について7年。杜預は、多くの事業を創設したり改廃したりしましたが、一つも無駄がありませんでした。

陳寿
陳寿

あまりの万能ぶりに、人々は杜預を賛美し、杜武庫と呼んだそうです。

軍事もできる官僚というイメージですね

 そのころ、晋の皇帝司馬炎しばえんは呉の国を制圧したいと思っていましたが、反対意見が多く、杜預や羊祜などわずかな人間だけが賛成していました。

羊祜
羊祜

私がいなくなったら、後任は杜預にしてください

司馬炎
司馬炎

わかった。杜預なら、きっと君の意思を継げよう

 征南大将軍の羊祜が亡くなると、杜預は鎮南大将軍・都督荊州諸軍事に任じられます。

 そこで杜預は精鋭を選出し、呉を襲撃。呉の名将張政を失脚させました。

司馬炎
司馬炎

よし! 来年には全軍をもって呉の国に攻め入ろう

杜預
杜預

いえ、もはや呉はかりそめに命をつないでいる状態! すぐに攻め入るべきです。絶好の機会を逃すべきではありません

司馬炎
司馬炎

しかし、反対意見も多い。説得せねばなるまい

杜預
杜預

反対者は、功績が自分のものにならないと思っているだけです。気にせず、ご英断を!

 杜預の二度の上奏を受け、司馬炎はついに呉への南征を決定。

 大都督(総司令官)に賈充を当てます。

あれ! 総司令官は杜預じゃないの?

陳寿
陳寿

反対派重鎮の賈充を総司令官にすることで、司馬炎はバランスを図ったのですね

杜預、破竹の勢い!

 咸寧5年(279年)冬、20万の晋の軍勢が、六方向より呉に侵攻を開始しました。

 杜預は次々と呉の城を攻略。荊州は元より、交州・広州に至るまで、呉の州郡は、故郷に帰るように晋に降伏しました。

 残る呉の首都建業けんぎょうを攻めるにあたり、六方面の軍は合流し、会議を開きました。

賈充
賈充

呉には百年近い歴史がある。そう簡単には落とせまい。一旦ここで本国に戻ろう

杜預
杜預

ここまで来て、何を言ってるんですか!?

賈充
賈充

いや、これから暑くなるし、雨も降るし、疫病とか流行りそうじゃん

杜預
杜預

今、我が軍は竹を割るような勢いで勝ち進んでいます! 退くことなどあり得ません

 杜預は『破竹の勢い』を宣言すると、諸将に指示し、建業に進軍。

 行く先々の城は抵抗もせず、ほどなく呉の皇帝孫皓そんこうも降伏しました。

賈充
賈充

すまなかった。足を引っ張るつもりはなかったんだ

杜預
杜預

こちらこそ言い過ぎました。今後は仲良くしていきましょう

 杜預は、呉制圧の功績により当陽県侯に封じられ、食邑は九千六百戸を与えられました。

 しかし、杜預は大功を奢ることなく、洛陽の顕官にも贈り物を欠かしませんでした。

陳寿
陳寿

杜預は、自ら低姿勢になることで、誹謗中傷を避けたのですね

石鑒と揉めたのも、いい経験だったね

 杜預は、司隷校尉に任じられますが、洛陽に戻る途中で亡くなります。享年63歳。

 司馬炎から、征南大将軍・開府儀同三司を追贈されました。

陳寿
陳寿

蜀を滅ぼした鄧艾や鍾会が身を滅ぼしたのを考えると、杜預の処世は見事でした

でも、呉を倒した最大の功労者なのに、イマイチ報われてないような…

陳寿
陳寿

出る杭を打つ、晋という国の問題点ですね。結局、杜預よりも石鑒の方が出世しますし…

石鑒!? あいつ、まだ生きてたの

陳寿
陳寿

石鑒は復帰して、文官の最高位である大尉にまで栄達します。しかも、80歳になっても、まるで若者のようだったと伝えられます

やっぱり叩き上げには勝てないな…

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 つづく。

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