三国志その後(蜀滅亡まで)

孫権亡きあと、なぜ諸葛恪は合肥を目指したのか?~第5次合肥の戦い

呉の重鎮である諸葛瑾の長男として生まれた諸葛恪。魏の軍勢を退け、丞相に昇進したのだが…。
三国志その後(蜀滅亡まで)

司馬懿の長男である司馬師は、呉の諸葛恪に敗れても、なぜ国をまとめられたのか?

司馬懿が亡くなり、跡を継いだ司馬師の動向に注目が集まる。そんな中、反司馬陣営が陰謀を進めるが…。
三国志その後(蜀滅亡まで)

三国志クイズ~孫権の後継者はいったい誰になったのか?

魏で司馬懿が死んだ頃、呉でも巨星が墜ちようとしていた。だが、簡単に終わるはずはなく…。
三国志その後(蜀滅亡まで)

孫権は老害になってしまったのか?~二宮事件、陸遜憤死

魏で司馬懿と曹爽の二頭体制が始まる頃、呉では、初代皇帝孫権が迷走を始めていた。
三国志その後(蜀滅亡まで)

司馬懿こそが主役?! 公孫淵との戦いでみせた司馬懿の実力とは?

痛み分けながら、諸葛孔明を追い払った司馬仲達。そこに、新たな任務が下された。
三国志その後(蜀滅亡まで)

魏と呉の皇帝同士が戦った第四次合肥の戦いとは? 曹叡VS孫権

諸葛亮が司馬仲達と五丈原でにらみ合いをしていたころ、魏と呉の国境の町である合肥でも戦争が起こっていた。
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